大切なことは、君がいること

赤色サイコを中心に、ジャニーズのこと。

はんぶんこ

上手く笑えない今日の涙は僕と“はんぶんこ”
一人の思い出 二人にしよう 何倍も笑えるね

とても苦しくてやるせなかった2020年のコロナ禍真っ最中、私たちよりももっともっと辛い思いをしていたはずのジャニーズWESTは、私たち(ファン)のことを、

僕らのはんぶん

と言ってくれた。

とても嬉しくてあたたかくて、涙が出た。ジャニーズWESTのはんぶんを背負っているのだから、こんな世の中に負けてられねーな、と思った。

 

思えばずっとそうだったと思う。ジャニーズWESTと我々は、いつも色んな感情や思い出をはんぶんこにしてきた。

嬉しいことも楽しいことも共有してくれた。私たちが笑顔になることをたくさん考えてくれたし、彼らを笑顔にするために我々が頑張ったこともたくさんある。辛いことも悔しいこともたまに吐露してくれた。綺麗な部分だけじゃなく人間臭いところも見せてくれて、この人たちのことを絶対に守りたいと強く思った。

 

私の社会人生活は、常にジャニーズWESTと共にあった。

2015年に社会人になった私は、ガムシャラに頑張る新人の彼らに親近感を覚えたし、異動して慣れない業務に振り回されていた時にはラキセを見て元気をもらっていたし、2年付き合った彼氏と遠距離の末別れた時も"乗り越しラブストーリー"に寄り添ってもらったし、転職活動は"アンジョーヤリーナ"で乗り越えた。

 

例え話でもなんでもなく、本当に、ジャニーズWESTがいたから頑張れたことがたくさんある。

それは私だけじゃないと思う。たくさんのファンが全国、全世界のどこかで、ジャニーズWESTに支えられて、引っ張ってもらって、ここまでなんとか生きてきた。

ジャニーズWESTと一緒に成長して、たくさんの愛を分け合って、ゆっくりと歩んできた。9年間大きな障壁もなく、手を繋いでここまでやってきた。いろんなことをはんぶんこにして、1人では絶対に味わえないほど何倍も大きな幸せを、たくさん感じてきた。

 

 

 

10周年を目前に、きっと今までで1番大きな壁にぶち当たった。

こんな肝心な時に彼らは、辛い気持ちや不安な気持ちを分けてくれない。正直我々も結構キツい思いをしているのだけれど、こんな時こそ、彼らの涙をはんぶん背負いたいのに。我々の辛い思いだけ汲んであたたかい言葉をくれるくせに。

 

ずるいよ。

今まで散々元気や勇気や生きる意味をくれたあなたたちを、今こそ私たちに支えさせてほしいのに。

こんな時に強くて、強さの鎧をかぶるのがうまくて、弱さを隠すのがうまいあなたたちに、結局私たちって何もできない。

 

悔しいよ。辛いよ。マジで。

名前が変わっても本質は何も変わらないって分かってるけど。

けど、9年間愛した彼らの名前も、我々の愛称も、いくつかの大好きな曲も、全部全部当たり前のまま10周年も20周年もその先もずっと歩んで行きたかったに決まってる。

けど、ジャニーズWESTが笑うから。何も変わらないよって言うから。何も変わらず素敵だから。けれど本当は絶対に辛いから。

私たちは今、自分の辛さを全部放り投げて、彼らの涙や心を半分背負わなければならない。

ずっとずっと当たり前に好きだよ。だから辛かったら泣いていいしムカついたら怒っていいよ。そんなネガティブな気持ちも全部全部、まるっと抱きしめて絶対守るよ。だからもっと、弱さを見せてくれていいよ。頑張らなくていいよ。かたくなに弱さを見せないあなたたちを見ていることしかできないのが、私は1番くやしい。

 

私は、ジャニーズWESTの半分を背負っている自負がある。プライドがある。だから、ここで負けてられねーな、と思う。

ジャニーズWESTを笑顔にできるのは私たちしかいないだろ、と本気で思っている。

だから、月並みな言葉しか言えないけれど、これからも手を繋いで、ゆっくり、幸せに、大切に生きていこう。全てを"はんぶんこ"にして歩いて行こう。

 

 

 

強くてカッコいいあなたたちが、安心して泣ける環境でありますように。そんな環境を作ってくれる信頼できる大人がたくさんいますように。その一端に、我々もなれていますように。

 

そしていつかはこんな日々のことを思い出して、笑い話にできますように。みんなではんぶんこして、この涙の何倍も笑えますように。

 

 

 

涙は越えて行こう 笑顔は集めて行こうよ
君が笑えば僕は嬉しすぎて泣きそう
ずっと味方でいるよ

本当だよ。

重岡君から見える世界

重岡君の言葉選びが、とても好きだ。

ウェブで読む話し言葉のようなありのままの言葉も、メンバーとふざけ合っている時にふいに出る言葉も、彼の作る曲の歌詞も、全てが私の琴線に触れて仕方ない。彼の頭の中や心の中、感性、紡ぎだされる感情、全てが魅力的でキラキラで。

 

突然で恐縮ですが、私がとくに好きな彼の言葉を紹介させてください。

 

 

・揺れる心 ゆけ涙 僕の愛してる

はじめて彼の言葉に惚れたのは、『乗り越しラブストーリー』 だった。どうしたってこんな可愛くて美しい言葉選びができるの、と心臓を掴まれた。曲全体を通して全てのセンテンスが素敵なのだけれど、中でも歌の最後の最後のこの歌詞が、たまらなく刺さった。

ゆけ涙、あまりに綺麗すぎる。涙が流れているのか、 泣く寸前なのか、過去に流した涙に言い聞かせてるのか、その真意は重岡君にしか分からないけれど、この恋愛を、涙を、 過去のものにしようとしているその心が伝わる。それを"ゆけ涙"の3文字で築くのは、あまりに美しすぎる。

"愛してる" というまっすぐで少しこっぱずかしい言葉で物語を締めるのが、とても重岡君らしいなと思う。涙があふれるような感情や後悔のその中心にある、はっきりとした"愛してる"という気持ち、それを隠さずまっすぐ言葉にするところ、優しくて繊細でまっすぐ熱い、重岡君そのもの。

 

 

・たまにボコボコにやられる時もあるけれど、また立ち上がれる理由は、幸せになりたいからだと思います。

少し前までシングルリリース前にメンバーが順番にメールくれてたんだけど、あれなんでなくなったんだろ?この文章は、週刊うまくいく曜日のリリース前にくれた重岡君からのメール。このメールを読んだとき、あまりに良すぎて、思わず泣きそうになって、保存したことをとてもよく覚えている。ちょうど友達とカラオケでWESTV!のDVD鑑賞会をしていて、シゲからメール来たよ~なんて話しながら読んで、携帯を抱きしめたくなるくらい愛おしい気持ちになったこと、ずっと新鮮な気持ちで覚えている。

エストって本当にそういうグループなんだろうな、と思う。きっとしんどい思いもたくさんしているけれど、それでも全員で何度でも立ち上がって、必ず前を向いて、同じ方を、私たちの方を向いて、笑ってくれる。自分たちが体現しているから、言葉に説得力がある。

重岡君、今幸せかな。もっと幸せになりたいと思って、何度も頑張ってくれてるのかな。その立ち上がった先に、幸せの方面に、私たちがいたらいいな。

 

 

・いつも俺たちに30代のかっこいい姿見せてくれてありがとう

WESTivalのゲームコーナーで淳太くんにふざけて言った、けれど絶対本心なひとこと。このたった一言が私には、妙に刺さったんだよね。何を言ってもいいあの場でとっさに出た一言が"いつもかっこいい姿見せてくれてありがとう"なの、あまりに尊すぎるだろうが。

 

 

・心臓だってど真ん中を 一歩はみ出して止まらないんだ

重岡君が作詞作曲した『むちゃくちゃなフォーム』の一節。めちゃくちゃ"重岡節"。『間違っちゃいない』の"理想と現実で結ぶ靴ひも歩けるかな"もそうだけど、着眼点やものごとの捉え方が独特で綺麗なんだよな。

確かに心臓って身体の真ん中からズレたところについていて、ど真ん中にないけどものすごく大切で、生まれてから死ぬまで止まらなくて、だから大切なものって、ズレてても、平凡でも、ガムシャラでも、カッコ悪くても、自分にとって大切だから、止まらない。止められない。それでいい。

どうやって生きてたら、そんな着眼点で世界を見られるんだろう、と思う。心臓が左側についていることに着目して曲書いた人、重岡君と野田洋次郎しか知らないかも。

しれっとネタバレになってしまって恐縮なのですが先日コンサートでこの曲を聴いた時、この歌詞を聴きながら7人の顔を見て、本当に震えたんだよ。むちゃくちゃなフォームで生きているウエストが私の心臓だから、ウエストが止まらない限り私も一生止まらずにずっと幸せなんだろうな、と本気で思ったよ。

 

 

 

総じて私はとにかく、世界中に重岡君の作った曲を聴いてほしいと思っている。

歌詞ももちろん曲込みで彼の世界観を感じて、恍惚としてほしい。ああ、重岡君ってこんなに愛の人で、魂の人で、等身大の人なんだな、と身体中で感じるから。重岡君を構成する感性が見えて、それらひっくるめて彼の全部を好きになってしまうから。

『乗り越しラブストーリー』や『バニラかチョコ』 、『じゃあね』を聞けば、重岡君が30年の中で培った恋愛観が垣間見えて、そのあまりのリアルさや予想以上のロマンティックさ、甘さで、 溶けてしまいそうになる。

『ムーンライト』や『間違っちゃいない』、『愛情至上主義』を聞くと、 彼のがむしゃらに生きてきたその半生や震える魂や心が垣間見えて、彼の心の真ん中にある拳で鼓舞してもらえたような気持ちになる。

 

重岡君の言葉は生きている。確実に命がある。だからとても惹かれて、とても好きだ。

私はこれからも、彼の紡ぎだす言葉に、感性に、彼の全てに、どうしようもなく夢中になっていくのだと思う。

 

 

7ヶ月ぶりに会った重岡君の感性を頭の先から爪の先まで浴びて、繊細で単純な彼の、

"大好きだ 愛してる"

が、とても沁みる春が始まった。

でっかい愛

私は今、どうしたらジャニーズWESTが最高なんだってことを伝えられるのか、ずっと考えているよ。

 

 

2022年5月現在行われているジャニーズWESTのアリーナツアーMixed Juiceに参戦して、この気持ちを、湧き上がる幸せを、言葉にならない熱い気持ちを、どうにかこうにか残しておきたくて筆を取った。けれど、なんて書けばいいのか、なんと表現したらいいのか分からなくて、ただとにかく身体の内側から熱いものがじわっと溢れて、それが涙となって、私は今、Mixed Juiceのことを思い出すたびに泣いてしまう。末期が過ぎる。

 

 

ちなみにネタバレしておりますので、ご自身の判断で読み進めてくださいネ

 

 

 

 

正直ここ最近、ジャニーズWESTに対するモチベーションはかなり低かった。2019年のWESTV!がめちゃくちゃ楽しくて、ものすごく楽しみにしていた2020年のツアーW troubleは中止になってしまって、2年分の期待と悲願の気持ちを抱えて挑んだ昨年のrainboWだった。

めちゃくちゃ楽しくてカッコよくて最高だった。のだけど、コンサートができない間に彼らは、元気いっぱいトンチキ曲!から、応援歌のような情熱的な曲やセクシーでシックな曲に切り替えていた。そんな成長した彼らを目の当たりにして、少し遠くに行ってしまったような気持ちや、いつも彼らに抱く"安心感"ではない感情が心にあって、少しだけ戸惑いがあった。少しだけね。

 

更にコロナ禍と言われたこの2年で、ジャニーズ外での推しがめちゃくちゃ増えた。勘弁してくれ。

元々私は彼らに、湧き上がる恋心のようなものではなく、見るたびに元気をもらえたりやる気を与えてくれるような滋養強壮剤のような気持ちを抱いていたこともあり、安定した供給や、「彼らは私を裏切らないだろうな」という安心感に甘えて、他の推しに金と時間を使うため、彼らを熱心に追うことをしなくなってしまっていた。

 

 

 

この1.2年、私生活でも色々あった。現在進行形でも色々ある。

仕事は今までの社会人人生で1番つらいし、プライベートも何もかもが煮え切らないことを、アラサーという年齢も相まって、「私って何してんだろう」という謎の焦燥感や無気力感に苛まれた。正直アイドルどころじゃない、という時期もあった。意味もなく涙が出て寝られない日もあった。

Mixed Juiceに入る前日、いや当日まで、そんな感じのモチベーションだった。アルバムも買っていないし、YouTubeに上がっている曲を一通り聴いたくらいで新曲をほぼ把握しないまま当日会場に向かった。会場に向かうために乗った東横線の中でさえ、人生を悲観して地に足をつけて立つことが苦しかった。こんな気持ちで会いに行く私を、ジャニーズWESTは喜んでくれるのだろうか。そんな自意識過剰なことすら考えた。

 

 

 

コンサート終盤、証拠を聞いた時、心臓の真ん中が強く鳴った。"衝撃が走る"って、こういうことなんだと思った。普段シングルCDを一切買わない私が、久しぶりにフラゲ日に買ったシングル。発売されてから何万回も聴いた、去年のツアーでだって聴いた、とっても大好きな曲。けど、初めて聴いた時より、もっとずっと心に響いた。彼らが心から楽しそうで、がむしゃらで、会場が文字通り本当にひとつになっていて、彼らとファンの全員の気持ちが同じ方向を向いているのが分かって、大好きな重岡大毅が眩しいくらいの笑顔で歌う「らしく行こうぜ」が、ものすごく響いた。

あぁ、私が好きなウエストは、ずっとここにいてくれたんだな。勝手に置いてけぼりな気持ちになってしまっていたけれど、変わらずずっと爽やかな情熱を持って、こうやって歌ってくれていたんだな。

 

 

その次の曲、僕らの理由が、もう本当にダメだった。

 

私が本当に欲しい言葉をくれるのは、親でも友達でも恋人でもなく、ジャニーズWESTだった。

あまりに辛すぎる人生を言葉ひとつで救ってくれたのは、他でもない、ジャニーズWESTだった。

眉間に力を入れていないと泣いてしまうから、ぎゅっと目をつぶって彼らの声だけ聞いた。そんなことしても抗えずに、彼らの情熱的な歌声だけで、わんわん泣いた。

あまりに楽しそうな彼らは、あまりに眩しくて、あまりにも宝石だった。美しくて、その輝きには何にも代え難い価値があった。

 

 

最後に歌ったサムシング・ニュー

これまたものすごく好きな曲。結婚ソングなのだけれど、コンサート会場で聴くこの曲が、私にはどうしたって、ジャニーズWESTと私たちの曲に聴こえた。

愛も闇も仕事も君も全部
この背中で戦ってみせるよ
限られた時で出会った人 そうさ
君がいれば
僕らは最強なんだぜ
さあ、進もうよ 姫

私はウエストのために、愛も闇も仕事も戦ってみせる、という覚悟があるし、ウエストがいれば"僕らは最強なんだぜ"、と本気で思う。

こんなに私たちを幸せにしてくれる彼らを、私たちが絶対に守らなきゃいけない。彼らがいてくれる限り、一生かけて幸せにしてあげなければいけない。

私は心からそう思ったのだけど、コンサートの最中に、流星くんがこんなことを言った。

 

「毎日笑うのは難しいかもしれないけど、なるべく忘れないでください。その笑顔を守るために僕たちが支えます。その笑顔が僕たちの原動力です。」

 

好きなアイドルが真剣な顔でこんなことを言ってくれる、そんな幸せなことある?

私が支えていきたい、守っていきたいと思っている人たちから、支えたい、守りたいと言ってもらえる。めちゃくちゃ相思相愛だ。

そんなウエストと私たちに、サムシング・ニューがよく映えると思った。

 

 

ジャニーズWESTは、希望。明日からも仕事頑張ろう。辛いことも乗り越えよう。と鼓舞してくれる。ウエストがいるから生きていこう、と人生の意味にさえなってくれるような、まさに私の心に灯る希望。

 

それって、アイドルの真理だと思う。一生懸命生きている彼らの存在そのものがファンの生きる意味になるって、めちゃくちゃアイドルの理想形。

ただキラキラしているものを見るだけでも充分楽しいのだけど、誰かの心を支えて、誰かの心を突き動かして、誰かの心を救って、"この人たちを見たいから、これからも生きていこう"って思わせてくれるって、アイドルとしてのあるべき姿なんじゃないかなあ、と、ジャニーズWESTを見ていると思う。

 

ものすごく大きな愛、でっかい愛を持ったアイドルを好きになれた。ジャニーズWESTを好きになれたことは、私の誇りで、自慢。

人生、めちゃくちゃ辛い。生きていてほとんどの瞬間が辛い。

けど、ジャニーズWESTがいるから、ジャニーズWESTを見ていたいから、ジャニーズWESTが「僕たちが支えます」って言うから、ジャニーズWESTを支えたいから、私はこれからもしんどい毎日に耐えて、またジャニーズWESTに会えるまで頑張って生きる。

泣きながら、笑いながら乗った帰りの東横線、地に足がついていないんじゃないかと思うほど、心が軽かった。ジャニーズWESTのことが大好きだなあと改めて実感して、それだけで全てのことがどうでもよくなった。

 

ジャニーズWESTが、"好きな明日を見つけにいこうよ"って歌うから、ジャニーズWESTと描く"明日"を、毎日生きていこうと思う。

ぎゅっと

「デビューシングルに自担のソロパートがなかった」という経験を、したことはありますか?

 

 

私は2回あります。

 

 

 

 

 

 

 

1回目の"それ"は、何の違和感もなく許容できた。

その理由としては、私が幼かったということもあるけれど、デビュー前からずっとグループの中で彼はそのような立ち位置にいたからということと、アイドル活動をするに当あたって、楽器という確固たる役割を与えてもらっていたことが大きいと思う。

 

彼はそういう人だから。歌割りがなくてもドラムがあるから。自然にそう思わせてくれた。

 

 

 

 

 

 

私は2回目の"それ"を、いまだに許容できないでいる。

 

たしかに私は控えめな、目立たない彼が好きなのだし、そもそも彼はそんなに歌も上手くないし(ド失礼)、ダンスに秀でているわけでもない(ド失礼)。だから別にセンターになってほしいとかずっと立ち位置を前にしてほしいとか、そんなことは思わない。

 

けれど確かに6人時代の彼には、こんな感情を抱かせないくらいには分量があった。ソロパートもあったし6人全員でアクロバットをして、なんていうか、分量の差はさすがにあれど、"平等性"に疑問を感じることは絶対になかった。

 

 

これは私の個人的な意見と愚痴なので、普通に受け流してネ 叩かないで お願い

 

 

 

 

 

 

 

デビューシングルに、彼のソロでの歌割はなかった。唯一あるのはハモりパート。立ち位置もずっと後ろ。彼らの代名詞だったアクロバットも9人になってからほとんど封印され、彼の分量は本当にゼロに近かった。

少しの寂しさはあれど、当初はもうそれでいいと思っていた。念願のデビューを掴んだ彼に、祝福以外の感情を抱くことはなかった。

 

 

 

 

あれ?と思ったのは2枚目のシングルが出た時だった。

 

そこでもまた、彼のソロパートはなかった。

さすがに2枚目はもう少し平等になっていると思っていた。少なくとも歌割りがさすがにゼロではないと思っていた。

けどまあまだ2枚目だし。華がある人が目立つのは当然のことだから。そう、割り切ろうとしていた。

 

 

 

 

2枚目のシングルが出る前に、ひとりのメンバーが活動をお休みすることになった。

念のため記載するけれど、お休みしていた彼を嫌いだとか恨んでいるとかは当たり前に一切ない。めちゃくちゃ好き。マジで結婚してほしい。

 

 

しばらくの間8人で活動することになった彼ら。センターで踊り歌割も多かったお休み中の彼の穴を埋めたのは、私の好きな彼だった。

 

それが、めちゃくちゃ悔しかった。

私の自担は、誰かが活動休止でもしないと分量がもらえないのか。誰かの代わりじゃないと歌割りがもらえないのか。その程度の存在だと事務所に思われてるのか。

誰が悪いとかでもなく、そりゃ歌割りが少ない彼に代打でパートが充てがわれるのは当然の話なのだけれど、本当に本当に本当に本当に悔しかった。

 

早く9人に戻ってほしかった。こんな補欠みたいな扱いを受けるくらいなら、歌割なんてなくていい。そう思ってしまった。ごめんね。

 

 

 

 

それ以来私は、新曲が出るたびに少しだけ心に雑音を感じてしまうようになった。

 

 

 

 

 

 

 

バラエティたくさん出てるじゃん!

クイズ番組で活躍してるじゃん!

 

そう言われるのが、私は1番嫌いだ。

 

 

 

彼が頭脳を活かす道を志したのは、"アイドルとして生きるための武器"であり、"自分なりのグループへの還元方法"なのに。

"アイドルであること"を大前提に考えてしてくれていた行動なのに。

 

 

だから歌割なくてもいいじゃん?

ふざけんなよ

 

 

 

彼自身がどう思ってるか分からない。彼自身がバラエティに出てるから歌割なくてもいいやって思ってるならまぁそれでいい。アイドルを天職だと言ってくれている彼は絶対に思ってないと思うけど。

 

私はアイドルの彼を好きになった。歌って踊ってキラキラしていて、控えめだけど前に出てきた時にパッと花が咲いて、それでいて頭もいい。そんな彼を好きになった。私は同担と話したことがないので分からないけれど、きっと彼の担当をしている人はみんな同じようなこと思ってるんじゃないかな、と思う。

 

 

アイドルである彼を、クイズ番組に出ていることで妥協する理由はひとつもない。

 

 

 

 

 

 

贅沢は言ってないと思う。

みんなと同じくらいカメラに抜かれてほしい。少しだけ歌割を増やしてほしい。もう少しだけ平等に扱ってほしい。

 

みんな知ってるか分からないけど、歌割がないとカメラに抜かれないんだよ。下ハモじゃ抜かれないんだよ。歌番組、全然楽しくないんだよ。

 

この少しの悔しさを、やり場のない怒りを、私はずっと振りかざしては静かに下ろして、人知れず噛み殺している。

 

 

 

 

 

 

 

誰が悪いわけでもない。メンバーを恨んでいるなんてことも絶対ない。けど、だから悔しい。なんとなく自然に減った分量、だから悔しい。せめて理由をくれよ。

 

 

 

 

けれどだからと言っていきなり歌割がめちゃくちゃ増えたりセンターになったりしたら、それはそれで違うんだよな。

新曲のMV、珍しくまあまあ抜かれるからビビってしまいました。分量への耐性がないのだから急はやめてほしい。

 

オタクって気難しくてめんどくさいよな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつも頑張ってること

僕は分かっているからね

いまもぎゅっと抱いて それをぎゅっと抱いて
自分だけは絶対離さないで
いまもずっと泣いて 今日もずっと泣いて
ここまでやって来たんでしょ 大丈夫

 

 

 

いつかこんな気持ちのことを、こんな日々のことを、笑って思い出せるようになったらいい

 

今は、とてつもなく分量の少ない君を、私がたくさん愛してあげるね

次の春です。

滝沢歌舞伎ZERO2021が開幕した。

 

2年ぶりの舞台としての滝沢歌舞伎。私は個人的に2019年に行けなかったので3年ぶりの滝沢歌舞伎SnowManが主演になって初めて観る滝沢歌舞伎

そんなの、泣いてしまうに決まっていた。

 

 

 

幕が開いて9人の姿を目に入れた瞬間、どうしたって涙が溢れて仕方なかった。

カーテンコールでひーくんも言ってくれたけど、本当に「よく生きててくれたね」という気持ちだった。彼らも私も今日まで頑張って生きた。辛くてしんどくて長い長い時間に耐えた。だから、また会えた。生きててよかった。

会えない毎日を頑張っていてよかったと、心から思った。

 

 

 

 

 

言わなくても分かると思いますが、最初から最後までずっと阿部くんマルチアングルしていたので有益なレポはできません。阿部くんのことなら全部覚えてるのに、それ以外のことに海馬を使えなかった。海馬がゴミすぎる。

 

それでもしっかり覚えていることは、新曲で翔太のソロが終わり9人全員でのユニゾンになった時、翔太だけが歌わずにマイクを下ろして遠くを見ていたこと。そういう演出というわけではなさそうで、きっと、口をひらくと、遠くをきゅっと見つめていないと泣いてしまいそうだから。そんな儚い顔に、私には見えた。その顔がとても切なくて美しくて、一生忘れないだろうな、と思った。がんばれ海馬。

 

あと余談だけど、一緒に行った深澤担の友人とお互い一生マルチアングルしてたから、観劇後の感想が全然共感し合えなくて最高だった(?)

 

 

 

 

 

SnowManは、やっぱり春がよく似合う。

春夏秋冬いつも素敵なのだけれど、春に黒髪で凛とした姿勢で桜を背負う彼らは、やっぱり格別なのだと思う。

春という季節さえも彼らのことを愛しているのだと、そう感じる。

 

 

語弊があるかもしれないけれど、私は阿部くんの、舞台仕様の笑顔が好きだ。雑誌で見るキラキラ笑顔やYouTubeで見る素の笑顔とも違う、"板の上にいる"という自覚を感じるような意識して作っている笑顔が、私の琴線に触れて心を燻るのだ。どうしたってあんなに綺麗な顔で笑えるの。あなたの笑顔で私は一生泣ける。

その笑顔が見られると、あぁ、春が来たなあと思う。タキシードのようなピシッとした衣装で背筋をしっかり伸ばして手話をしながらその笑顔を見せてくれる春の阿部くんが、私は滝沢歌舞伎の中で1番好きだ。

 

 

 

 

 

去年の今頃、世界は、とてつもなく暗くて長いトンネルの中を、走れるわけでもなくただ立ち尽くすだけの日々だった。世界の誰に聞いても出口が分からない真っ暗闇の中で、ささやかに、けれど確実に、私の足元に優しいあかりを灯してくれたのが、ジャニーズエンターテイメントであり、SnowManだった。

会えない日々の中で、1番好きなSnowManと私の春を感じることができない中で、デビューコンサートも滝沢歌舞伎も諦めざるを得なかった彼らは、絶対に私の心を照らすことをやめなかった。

YouTubeをたくさん更新してくれた。すのとステイホームを始めてくれた。自宅からラジオ出演もしてくれた。本当に嬉しくて嬉しくて、より一層私はSnowManを好きだと思った。

 

けれど、より一層好きになればなるほど、会えないことへのやるせなさは感じた。会いたくて、思いを届けたくて、どうしようもないから手紙を書いた。どうしようもなさすぎてなぜか矢花くんにも書いた。本当になんで?

 

 

 

 

会えない毎日を頑張った。会いたくて涙が出てしまうこともあった。耐え忍ぶ季節は夏になり秋が来て冬をも越えた。全ての季節に彼らを想った。

 

春夏秋冬 君の笑顔も涙も
逃さないで僕が守っていきます
あの夢をぎゅっと掴むために
寒い冬さえも越えて君住む街へと
届くように歌うよ ヘタクソなラブソング
ほら 気づいたら 次の春です。

 

 

また春が来た。

この歌が死ぬほど沁みて、心臓の1番深いところがキュっとなった。

 

 

春がこんなに似合う君と、また春に会えてよかった。

 

 

 

私は何十年後になっても死ぬ間際になっても、今年の春を思い出すのだろうと思う。

寒い冬さえも越えてお互いを想い合い耐え続けたこの1年のこと、思ったよりつらくて枕を濡らした過去の私のこと、渇望していたエンターテイメントに肌で触れられたこの春のこと、全部ひっくるめて丸ごと抱きしめたい。

 

 

 

 

「次の春」を待っていて、信じていて、本当によかった。

 

また次の春まで頑張って生きていこうね。

フィクション

 

歪んだ母と私の話

誤解を恐れず言えば、私は恵まれた家庭に生まれたと思う。

 

東京の都心部に生まれ育ち、それなりにいい感じの一貫校に幼稚舎から入れてもらって大学までエスカレーター進学したし、習い事もたくさんさせてもらった。旅行にもたくさん連れて行ってもらった。5歳の頃初めて歯が抜けた時、ハワイでピザを食べていた。

 

 

そして、甘くも厳しい母の元で育った。

幼少期はナルミヤを着させてもらえなかった代わりにバーバリーを着させられ、学生時代はイーストボーイのセーターを買ってもらえずにラルフローレンを買い与えられた。毎日キレイに髪を編み込みにして登校した。それがありがたいことだったのだと今だから分かるけれど、当時の私は皆と同じものを着たかった。ポニーテールがしたかった。

28歳になった今もまだ私は、ベティーズブルーやイーストボーイに憧れがある。

 

 

母は自分の価値観、生きてきた世界が全てだと思っている。それが全くの正解だと思っている。自分もそうやって育ってきたから。母もまた、ファミリアやバーバリーを着させられ私立一貫校に通った人だから、それが送るべき人生だと思い込んで生きている。

まあ正直間違いではないと思う。理解はできる。けれどその母の価値観に、私は未だに苦しめられている。

 

 

自分より良い大学を出た人と付き合いなさい。誰もが聞いたことのある大企業の人と結婚しなさい。キレイな顔の人と結婚して可愛い孫を産みなさい。

文字にすれば簡単だけれどそれがものすごく難しいということに、母は未だに気づいていない。自分の娘がそんなハイスペックな人に好かれて結婚できると思っている。なぜなら、

「あなたは箱入り娘なんだから」

 

物心ついた頃からずっと言われている。なんなら今でも言われている。

箱入り娘だから門限があった。外泊ができなかった。母の認めた友人としか遊んではいけなかった。高校大学の7年間、それが本当に辛かった。

 

 

社会人1年目の終わりに、父が他界した。

父は娘の目から見たら、ものすごくカッコいい人だった。美大を出てデザインを仕事にしていた。顔もカッコよくて、お父さんに似たらよかったのに、と家族によく言われた。オシャレで優しくて娘に甘かった。

 

父親としては最高にカッコよかったけれど、男として、夫としてはそうでもなかったのかもしれない。父が亡くなってから、母の価値観の押し付けは激化した。自分が父と結婚したことで不満だったことを娘の結婚相手に求めた。

27歳にして私は、父がハーフで自分がクォーターであることを知った。生活様式や価値観がやっぱり違うと思った、という話と、可愛い子が産みたいならやっぱりハーフだよね、という話を永遠にシャトルランされるので、母のことを本気で躁鬱なのかな?と思った。

 

姉は2回、婚約破棄をした。お相手が母のお眼鏡に適わなかったから。きっと私に結婚したいと思う相手ができても、同じようになるのだと思う。

 

 

それでも私が抵抗せずに今日まで生きているのは、悔しいけれど母の言うことが理解できてしまうからだと思う。

正直私だって自分よりバカな人とは付き合いたくないし稼ぎのない人とは結婚したくない。どうせ産むなら可愛い子を産みたい。門限だって外泊だって、なんでダメなのか、幼いながらに分ってしまっていた。だから辛くて悔しかったけれど、抵抗できなかった。

とどのつまり私も、母に造られた私の人生を、母の価値観を、正しいと思って生きているのだろうな。

今でも私は母に対して生きづらさを感じているけれど、好きなタイプは?と聞かれたら頭のいい人、と答えてしまうし、阿部亮平が好きなのだ。

 

 

 

ロックを聴かない男と付き合っていた話

初めて付き合った人は5歳年上の家庭教師だった。18歳の高校生だった私にとって23歳の大学生の彼は全てがカッコよく見えたし、彼のことを正義だと思っていた。冷静に考えると23歳が18歳に手を出すのは結構ヤバい。

 

中学1年の頃、同じクラスの子に銀杏BOYZを教えてもらった。関ジャニしか聴いていなかった私のロックへの関心は、ものすごい勢いで私の心に飛び込んだ。

銀杏BOYZエレカシGLAYも私にたくさんの思い出と元気をくれた。青春時代にはいつも銀杏BOYZが寄り添ってくれていたし、宮本浩次のおかげで乗り越えられたことがたくさんある。TAKUROの作る曲はいつも私を奮い立たせてくれる。ホルモンもバクホンピロウズも、私が私になる養分なのだ。

 

 

彼はロックを聴かなかった。私が好きな音楽に、興味を示さなかった。別に好きになってほしかったわけではないけれど。けれど少しだけ、心の中の細い糸が固結びされた感じがした。

 

 

大学の時に付き合っていた彼も、社会人1年目に付き合った先輩も、その次の彼も、1番長く付き合っていた彼も、ロックを聴かなかった。

 

その1番長く付き合っていた彼は、ZARDが好きだった。(ZARDってロックかもな)

ドライブ中に車で聴いた

「君に逢いたくなったら その日までガンバル自分でいたい」

という歌詞を、私は心から素敵だと思った。私は彼のことが本当に好きで、揶揄ではなく、本当にそう思っていた。彼に会うまで頑張る自分でいたいと素直に思える自分に出会えたこと、こんな素敵な曲に出会えたこと、彼は彼の人生をこういう曲で彩ってきたんだなと知れたこと、それはとても意味のあることだった。

 

その翌年、こんな曲が発売された。

君はロックなんか聴かないと思いながら
少しでも僕に近づいてほしくて
ロックなんか聴かないと思うけれども
僕はこんな歌であんな歌で
恋を乗り越えてきた

 

全ての紐がするすると解けていく音がした。

私の好きなものを、分かってほしいと思っていたわけじゃない。好きになってほしいと思っていたわけでもない。けれど、私が彼のおかげで頑張る自分に気づけたように私の好きな曲で彼の世界を色付けできたら嬉しかったし、ただただ、ロックが好きだからこう成った私の人生を、知ってほしかった。

私はロックで、銀杏BOYZで、エレカシで、GLAYで、人生の色んなことを乗り越えて、人生を立て直して、踏ん張って生きてきた。初めて付き合った彼にも、その次にも、その次の彼にも、それを少しだけでも知ってほしいと思っていたのだった。

 

 

その彼と、遠距離になった。彼が旅立ってしまうその最後の日、お見送りをして、彼がいなくなった駅のホームで涙を堪えながらイヤフォンをさして、一曲目に流れてきたのが、今でも覚えている。「風に吹かれて」だった。

 

まずイントロが心の奥の方を揺すった。
重厚感のあるイントロがあけると宮本浩次のあまりに実直な歌声は、それはキレイに心に沁みた。
「さよならさ 今日の日よ」

で、とうとう泣いた。電車の中だとか、帰宅ラッシュで結構混んでたとか、そんなことはどうでもよかった。とにかく宮本浩次の声は私の涙腺をくすぐった。確かに私はその瞬間、この曲に助けられて、支えられて、1つ何かを乗り越えた。

 

私はこうやってロックで人生をなんとかやりこなしているので、私にとってロックがそういう存在であることを、ただ知っていてほしいのだ。

 

 

1番最近付き合った彼は、GLAYが好きだった。だから初対面から話が合って、トントン拍子に付き合った。BELOVEDが1番好きだな、王道だけどやっぱりHOWEVERはいいよね、私はlifetimeも好きだな、という話をたくさんしたおかげで、その彼と別れた今、GLAYを聴くとちょっとだけえづいてしまう。

 

やっぱりロックを聴かない人と付き合うのがいいのかもしれないと分かった、28歳の冬のこと。

 

 

 

オタク的私の2020年の話

新型コロナクソウンコウイルスが大流行した2020年、人生が変わった。仕事は在宅や時短になったし、生きがいだった旅行や現場は一切生活から消えた。

そんな2020年を乗り越えた私は、コロナ禍と言われる現在のとてもつらいことはもちろん、コロナが明けてからのことを考えてつらくなってしまうことが増えた。

 

 

人の感情が爆発する瞬間が、苦手だ。

特に多くの人が一気にワッ!となっているのを見ると、呼吸の仕方が分からなくなってしまう。セール会場やディズニーランドの開園の瞬間、コンサートの会場が暗転してからOP映像が始まるまでの数秒間、息が詰まってしまう。

 

2020年、全てのコンサートが配信という形で執り行われた。現場に行きたい。好きな人に直接会いたい。友達と手を握り合いながら大騒ぎしたい。そんな気持ちを全部我慢せざるを得なかったコンサートを、1年間経験した。

正直私は、そこまで悪い気持ちはしなかった。そりゃあ以前にも書いたように、SnowManの満を辞してのファーストコンサートが配信になってしまったのは悔しかった。当選していたジャニーズWESTやトラジャのコンサートに行けなかったのは悲しかった。けれど、自分と自分の好きな人だけの空間で、確実に当選してコンサートが見られるというのは思った以上に心地よかった。

 

2020年の終わり頃から、徐々にコンサートや舞台の有人公演の開催が発表された。約1年ぶりの申し込みと当落、結構キツかった。大勢の人の感情が一気に爆発するのが、SNS上からでも痛いほど伝わった。息が詰まりそうで、つらくて怖かった。

コロナが完全に収束したら、今どころじゃなくもっと激しく人々の感情が爆発するのだろう。私はそれが今、何よりも怖い。当たった、落ちた、行きたい、行きたい、行きたい、の感情の殴り合いを目と耳で感じなければならない未来を想像すると、私は配信が心地いい。

 

 

2020年11月のコロナ禍ど真ん中にデビューしたアイドルが先日初めてオンラインでファンミーティングを行った時、

「ファンの人たちに会えたことがないから、自分たちが本当に愛されているのか分からない(意訳)」

と泣いていた。

そりゃそうだよな。私たちがどれだけSNSを使って好きだと伝えても、ファンレターを出しても、オンラインコンテンツのチケットを買っても、その私たちは今彼らにとって、偶像でしかないのだから。

私たちが生きがいとしている存在の彼らもまた、見えない何かと戦って、つらい気持ちでいるのだな。

 

けれど、彼らも私たちファンを欲して、必要としてくれているのだと分かることができて、少し嬉しくて安心した。私たちが思っているよりもずっと、彼らにとって私たちの存在って大きいものなのかもしれない。好きだから勝手に応援しているだけの私たちの存在が彼らに見えるだけで、活力になっているのかもしれない。

 

 

そう思うとやっぱり、直接会えるまで、普通にコンサートやイベントができる世の中になるまでオタクはやめらんねーな、と思うし、やめる気もないし、有人公演も、それの当落に一喜一憂するのも、人の感情が爆発するのも、結構いいんじゃないかな、とさえ思えた。

 

 

 

 

 

一生結婚できなくても、推しに会えても会えなくても、好きなものはずっと物理的にも概念的にも、生きている。

そんな2021年も、その先の未来も、悪くないのかもしれないな。

 

 

生きるか〜〜〜!!!

井の中のジャニオタ、大海を知る

書く前から分かるけどこの記事めちゃくちゃ長くなると思うから要点だけまとめると、

 

・ジャニオタ、知見が広がったよ!

・セブチが怖い!!!

 

です。では以下詳細です。どうぞ

 

 

 

 

そもそもの始まりは2020年夏、虹プロにどハマりしたことだった。

会社の後輩(韓国に明るい)と毎日虹プロの話で盛り上がってると、ある日いきなり

 

「ていうか先輩プデュ*1も虹プロも好きなら、絶対この番組好きだと思う」

 

と言ってその当時まさにリアルタイムでやっていた韓国のオーディション番組を教えてくれた。それがまごうことなきI-LANDである。

 

上記にもあるように私はサバイバルオーデション番組に目がないオバサンだが、韓国人、延いてはK-POPにあまりにも興味がなかった。というより、興味の示し方が分からなかった。たしかにダンスは揃っていてかっこいいけれど、名前は似てるし歌詞は何言ってるか分からないし顔もお化粧によって同じように見えるし、かっこいいことは分かるけど、、、という感じだったので、つまり、プデュも虹プロも日本人だからハマったのだった。

 

 

韓国人見分けつかんし、、何言ってるか分からんし、、と期待せずに観たI-LAND第一話、あの、

バカオモロかった

 

 

 

秒でハマった。I-LANDの存在を知ったのがパート2が始まったあたりだったので秒速でパート1を見てパート2に合流し、その日からヒスン君を応援する人生が始まった。面食いオバサン、推し作るの得意!イケメンだ〜いすき!!!兎にも角にも

ヒスン、かわいすぎんか?????

 

f:id:yantd:20210203211806j:image

ヒスン君(天才)

 

 

と、そんなこんなでI-LANDのおかげでK-POP文化への食わず嫌いを克服した私、そのI-LANDで課題曲として使用されていたある曲に出会う。

 

Pretty U

 

プリンシパルの君へ、ダイヤモンドスマイル、Lock on!、分かりやすくキラキラアイドル曲が好きな私、こんな曲、好きに決まっていた。I-LANDで聴いてすぐ好きになってYouTubeで原曲を聴きたくなった。けれどいかんせんSEVENTEENは13人、いったん試しに上記動画を見たが、脳が大混乱を起こしたのですぐ閉じた。

 

 

 

 

そのまま私はヒスン君を応援しながら、ENHYPENを見守りながら、少しだけ韓国文化に足を踏み入れて過ごす、のだが、

 

 

 

 

運命の日は、年末にやってくるのであった。

 

 

件の後輩に突然、

「ていうか先輩、人数多くてオモロい集団好きだよね?オススメのアイドルいるんすけど見てもらえません?

SEVENTEENっつーんですけど」

 

ジャニーズWESTSnowManを人数が多いオモロ集団と的確に揶揄しピンポイントでSEVENTEENをプレゼンしてきた後輩、あまりに有能すぎる。

てかPretty Uの人たちじゃん、、、一回諦めた人たちじゃん、、再履修しろってか、、?まあこちとら留年に首まで浸かった経験のある落ちこぼれ人間、再履修は慣れている。やってやろうじゃん。

 

動画だと分かりにくいからってことで何枚も画像を見せられて、その中から顔が好きな人を選んでいくと大概ミンギュを選んでいることが分かってその日は満足して終了。家帰ってもう一回画像見てもどれがミンギュが分からんかったけど。

 

 

 

 

その数日後とうとうガチの運命の日、大晦日がやってきた。

 

友人宅で昼から酒飲んで最高大つごもりしていると突然、

「そういやオマエSEVENTEENに出会ったって言うてたよな?今日絶対メンバー覚えて帰ってもらうから覚悟しろよ」

と宣言された。あ、そういやコイツ高校時代から毎週末に渡韓してたガチ勢だったわ、、、、

 

「ちょっとだけ画像見たんだけど私多分ミンギュが1番好きなんだよね〜」

「違う、オマエは絶対ミンギュじゃない。

絶対ドギョムだからこの男から目を離すな

 

と脅迫され見せられたマフィアゲーム。つーかドギョムって誰だよ、、、顔はあんまりタイプじゃなさそうだけどなんで勧められたん、、、?つーかマフィアゲームってなに、、、

 

 

 

 

 

バカオモロかった

 

ていうか翻訳してくださってる方の語彙力がすごい(語彙力)

 

そして友達が私にドギョムを勧めた理由が分かった。ドギョム、めちゃくちゃ好きだ。

よく考えてみれば私は淳太くんから入ったくせに気づけば重岡担だし、目黒の顔が好きなのに阿部担をやってる。とことん彼氏力のある男に弱い。ドギョム、つまりそういうことなんだろうな、と思う。

 

オモロ集団はバラエティを見るに限る。そんな基本的なこと、私はとっくの昔にエイトで習ったはずなのに、どうして今までこんな面白コンテンツをスルーして生きていたの?どうしてPretty Uで諦めたの?夏の終わりの私、正気???

 

 

 

思うに、SEVENTEENはめちゃくちゃジャニオタに刺さる。刺さる理由が、確実にいくつかある。

まず、とにかく死ぬほど酒を飲む。アイドル×酒は最高、確かにジャニオタはそう習ってきたが、そのジャニオタの中にある常識を、マジで覆してくるくらい飲む。飲みサーの大学生くらい飲む。めちゃくちゃオモロい。ズルすぎる。

あと13人もいるので、全てのヘキを網羅してくる。ビジュアル重視なジャニオタも、パフォーマンス重視なジャニオタも、オモロさ重視のジャニオタも、シンメ厨も、全員セブチの網にかかってしまう。彼らが全てを持っているから。何?本当に怖い。逃げようがない。気付いたらセブチ包囲網張られててマジで怖い。

 

 

あと何より本当にPretty Uが最高。こんな曲、自担Gに絶対やってほしいに決まってる。

君のことが好きで仕方がなくて、明日必ず「君は綺麗だ」って言うと決意する、可愛くて強い、恋する男の子の歌。歌詞の和訳を見た時に、あまりの可愛さにおったまげてしまった。

 

スノがやるならジョンハンは阿部くんがいいな、サビ終わりにピースしてきゅるきゅるしてほしいな、歌い出しのジョシュアは声が優しいから深澤さんがいいな、すんちのラップはさっくんがやったら合うだろうな、なんて考えてしまうほど、こんな最高な曲を持っているセブチに嫉妬する。ていうか楽曲は彼らが作っているので、こんな最高な曲を作れるその才能にも嫉妬する。マジのマジでPretty U、最高。語彙力はいずこ?

お気づきでしょうが、私はちゃっかりしっかり13人を認知している。

 

 

 

どんどん私の生活にセブチが入り込んでくる。普通に怖い。ハマりたくない。ジャニオタで精一杯なのに韓国までハマったらヤバイ。絶対ハマらない。ハマりたくない。

 

そう思っているはずなのに、今日も私はpretty Uを聴いているしTTT*2を観ているのであった。

私の生活様式にしっかり組み込まれつつあるSEVENTEEN、マジで怖い。油断ならない。

 

 

 

 

 

ハマらないからな!!!!!!!!

 

 

f:id:yantd:20210203211700j:image

↑ドギョムです

 

*1:produce101というサバイバルオーディション番組。私は日本版、通称日プが好きだった

*2:セブチ一生飲酒小旅行企画動画