大切なことは、君がいること

赤色サイコを中心に、ジャニーズのこと。

フィクション

 

歪んだ母と私の話

誤解を恐れず言えば、私は恵まれた家庭に生まれたと思う。

 

東京の都心部に生まれ育ち、それなりにいい感じの一貫校に幼稚舎から入れてもらって大学までエスカレーター進学したし、習い事もたくさんさせてもらった。旅行にもたくさん連れて行ってもらった。5歳の頃初めて歯が抜けた時、ハワイでピザを食べていた。

 

 

そして、甘くも厳しい母の元で育った。

幼少期はナルミヤを着させてもらえなかった代わりにバーバリーを着させられ、学生時代はイーストボーイのセーターを買ってもらえずにラルフローレンを買い与えられた。毎日キレイに髪を編み込みにして登校した。それがありがたいことだったのだと今だから分かるけれど、当時の私は皆と同じものを着たかった。ポニーテールがしたかった。

28歳になった今もまだ私は、ベティーズブルーやイーストボーイに憧れがある。

 

 

母は自分の価値観、生きてきた世界が全てだと思っている。それが全くの正解だと思っている。自分もそうやって育ってきたから。母もまた、ファミリアやバーバリーを着させられ私立一貫校に通った人だから、それが送るべき人生だと思い込んで生きている。

まあ正直間違いではないと思う。理解はできる。けれどその母の価値観に、私は未だに苦しめられている。

 

 

自分より良い大学を出た人と付き合いなさい。誰もが聞いたことのある大企業の人と結婚しなさい。キレイな顔の人と結婚して可愛い孫を産みなさい。

文字にすれば簡単だけれどそれがものすごく難しいということに、母は未だに気づいていない。自分の娘がそんなハイスペックな人に好かれて結婚できると思っている。なぜなら、

「あなたは箱入り娘なんだから」

 

物心ついた頃からずっと言われている。なんなら今でも言われている。

箱入り娘だから門限があった。外泊ができなかった。母の認めた友人としか遊んではいけなかった。高校大学の7年間、それが本当に辛かった。

 

 

社会人1年目の終わりに、父が他界した。

父は娘の目から見たら、ものすごくカッコいい人だった。美大を出てデザインを仕事にしていた。顔もカッコよくて、お父さんに似たらよかったのに、と家族によく言われた。オシャレで優しくて娘に甘かった。

 

父親としては最高にカッコよかったけれど、男として、夫としてはそうでもなかったのかもしれない。父が亡くなってから、母の価値観の押し付けは激化した。自分が父と結婚したことで不満だったことを娘の結婚相手に求めた。

27歳にして私は、父がハーフで自分がクォーターであることを知った。生活様式や価値観がやっぱり違うと思った、という話と、可愛い子が産みたいならやっぱりハーフだよね、という話を永遠にシャトルランされるので、母のことを本気で躁鬱なのかな?と思った。

 

姉は2回、婚約破棄をした。お相手が母のお眼鏡に適わなかったから。きっと私に結婚したいと思う相手ができても、同じようになるのだと思う。

 

 

それでも私が抵抗せずに今日まで生きているのは、悔しいけれど母の言うことが理解できてしまうからだと思う。

正直私だって自分よりバカな人とは付き合いたくないし稼ぎのない人とは結婚したくない。どうせ産むなら可愛い子を産みたい。門限だって外泊だって、なんでダメなのか、幼いながらに分ってしまっていた。だから辛くて悔しかったけれど、抵抗できなかった。

とどのつまり私も、母に造られた私の人生を、母の価値観を、正しいと思って生きているのだろうな。

今でも私は母に対して生きづらさを感じているけれど、好きなタイプは?と聞かれたら頭のいい人、と答えてしまうし、阿部亮平が好きなのだ。

 

 

 

ロックを聴かない男と付き合っていた話

初めて付き合った人は5歳年上の家庭教師だった。18歳の高校生だった私にとって23歳の大学生の彼は全てがカッコよく見えたし、彼のことを正義だと思っていた。冷静に考えると23歳が18歳に手を出すのは結構ヤバい。

 

中学1年の頃、同じクラスの子に銀杏BOYZを教えてもらった。関ジャニしか聴いていなかった私のロックへの関心は、ものすごい勢いで私の心に飛び込んだ。

銀杏BOYZエレカシGLAYも私にたくさんの思い出と元気をくれた。青春時代にはいつも銀杏BOYZが寄り添ってくれていたし、宮本浩次のおかげで乗り越えられたことがたくさんある。TAKUROの作る曲はいつも私を奮い立たせてくれる。ホルモンもバクホンピロウズも、私が私になる養分なのだ。

 

 

彼はロックを聴かなかった。私が好きな音楽に、興味を示さなかった。別に好きになってほしかったわけではないけれど。けれど少しだけ、心の中の細い糸が固結びされた感じがした。

 

 

大学の時に付き合っていた彼も、社会人1年目に付き合った先輩も、その次の彼も、1番長く付き合っていた彼も、ロックを聴かなかった。

 

その1番長く付き合っていた彼は、ZARDが好きだった。(ZARDってロックかもな)

ドライブ中に車で聴いた

「君に逢いたくなったら その日までガンバル自分でいたい」

という歌詞を、私は心から素敵だと思った。私は彼のことが本当に好きで、揶揄ではなく、本当にそう思っていた。彼に会うまで頑張る自分でいたいと素直に思える自分に出会えたこと、こんな素敵な曲に出会えたこと、彼は彼の人生をこういう曲で彩ってきたんだなと知れたこと、それはとても意味のあることだった。

 

その翌年、こんな曲が発売された。

君はロックなんか聴かないと思いながら
少しでも僕に近づいてほしくて
ロックなんか聴かないと思うけれども
僕はこんな歌であんな歌で
恋を乗り越えてきた

 

全ての紐がするすると解けていく音がした。

私の好きなものを、分かってほしいと思っていたわけじゃない。好きになってほしいと思っていたわけでもない。けれど、私が彼のおかげで頑張る自分に気づけたように私の好きな曲で彼の世界を色付けできたら嬉しかったし、ただただ、ロックが好きだからこう成った私の人生を、知ってほしかった。

私はロックで、銀杏BOYZで、エレカシで、GLAYで、人生の色んなことを乗り越えて、人生を立て直して、踏ん張って生きてきた。初めて付き合った彼にも、その次にも、その次の彼にも、それを少しだけでも知ってほしいと思っていたのだった。

 

 

その彼と、遠距離になった。彼が旅立ってしまうその最後の日、お見送りをして、彼がいなくなった駅のホームで涙を堪えながらイヤフォンをさして、一曲目に流れてきたのが、今でも覚えている。「風に吹かれて」だった。

 

まずイントロが心の奥の方を揺すった。
重厚感のあるイントロがあけると宮本浩次のあまりに実直な歌声は、それはキレイに心に沁みた。
「さよならさ 今日の日よ」

で、とうとう泣いた。電車の中だとか、帰宅ラッシュで結構混んでたとか、そんなことはどうでもよかった。とにかく宮本浩次の声は私の涙腺をくすぐった。確かに私はその瞬間、この曲に助けられて、支えられて、1つ何かを乗り越えた。

 

私はこうやってロックで人生をなんとかやりこなしているので、私にとってロックがそういう存在であることを、ただ知っていてほしいのだ。

 

 

1番最近付き合った彼は、GLAYが好きだった。だから初対面から話が合って、トントン拍子に付き合った。BELOVEDが1番好きだな、王道だけどやっぱりHOWEVERはいいよね、私はlifetimeも好きだな、という話をたくさんしたおかげで、その彼と別れた今、GLAYを聴くとちょっとだけえづいてしまう。

 

やっぱりロックを聴かない人と付き合うのがいいのかもしれないと分かった、28歳の冬のこと。

 

 

 

オタク的私の2020年の話

新型コロナクソウンコウイルスが大流行した2020年、人生が変わった。仕事は在宅や時短になったし、生きがいだった旅行や現場は一切生活から消えた。

そんな2020年を乗り越えた私は、コロナ禍と言われる現在のとてもつらいことはもちろん、コロナが明けてからのことを考えてつらくなってしまうことが増えた。

 

 

人の感情が爆発する瞬間が、苦手だ。

特に多くの人が一気にワッ!となっているのを見ると、呼吸の仕方が分からなくなってしまう。セール会場やディズニーランドの開園の瞬間、コンサートの会場が暗転してからOP映像が始まるまでの数秒間、息が詰まってしまう。

 

2020年、全てのコンサートが配信という形で執り行われた。現場に行きたい。好きな人に直接会いたい。友達と手を握り合いながら大騒ぎしたい。そんな気持ちを全部我慢せざるを得なかったコンサートを、1年間経験した。

正直私は、そこまで悪い気持ちはしなかった。そりゃあ以前にも書いたように、SnowManの満を辞してのファーストコンサートが配信になってしまったのは悔しかった。当選していたジャニーズWESTやトラジャのコンサートに行けなかったのは悲しかった。けれど、自分と自分の好きな人だけの空間で、確実に当選してコンサートが見られるというのは思った以上に心地よかった。

 

2020年の終わり頃から、徐々にコンサートや舞台の有人公演の開催が発表された。約1年ぶりの申し込みと当落、結構キツかった。大勢の人の感情が一気に爆発するのが、SNS上からでも痛いほど伝わった。息が詰まりそうで、つらくて怖かった。

コロナが完全に収束したら、今どころじゃなくもっと激しく人々の感情が爆発するのだろう。私はそれが今、何よりも怖い。当たった、落ちた、行きたい、行きたい、行きたい、の感情の殴り合いを目と耳で感じなければならない未来を想像すると、私は配信が心地いい。

 

 

2020年11月のコロナ禍ど真ん中にデビューしたアイドルが先日初めてオンラインでファンミーティングを行った時、

「ファンの人たちに会えたことがないから、自分たちが本当に愛されているのか分からない(意訳)」

と泣いていた。

そりゃそうだよな。私たちがどれだけSNSを使って好きだと伝えても、ファンレターを出しても、オンラインコンテンツのチケットを買っても、その私たちは今彼らにとって、偶像でしかないのだから。

私たちが生きがいとしている存在の彼らもまた、見えない何かと戦って、つらい気持ちでいるのだな。

 

けれど、彼らも私たちファンを欲して、必要としてくれているのだと分かることができて、少し嬉しくて安心した。私たちが思っているよりもずっと、彼らにとって私たちの存在って大きいものなのかもしれない。好きだから勝手に応援しているだけの私たちの存在が彼らに見えるだけで、活力になっているのかもしれない。

 

 

そう思うとやっぱり、直接会えるまで、普通にコンサートやイベントができる世の中になるまでオタクはやめらんねーな、と思うし、やめる気もないし、有人公演も、それの当落に一喜一憂するのも、人の感情が爆発するのも、結構いいんじゃないかな、とさえ思えた。

 

 

 

 

 

一生結婚できなくても、推しに会えても会えなくても、好きなものはずっと物理的にも概念的にも、生きている。

そんな2021年も、その先の未来も、悪くないのかもしれないな。

 

 

生きるか〜〜〜!!!