大切なことは、君がいること

赤色サイコを中心に、ジャニーズのこと。

東京に住むということ

突然だけれど、私は東京に住んでいる。

生まれてこのかたずっと東京で生きている。

 

なので東京ドームも横アリも代々木体育館も帝劇も国立劇場新橋演舞場もすぐ行けるし、気軽に1つの公演で2会場行くこともできる(当たれば)。日本の真ん中なので、上にも下にも遠征しやすい。ジャニショもあるし、雑誌もCDもテレビ放送も日程がズレることなくチェックすることができる。

ありがたいことである。

 

それが恵まれているということは、大人になってから気付いた。

その分東京に住んでいることでふがいなくなったり切なくなったりすることがあるってことも、大人になってから分かった。

 

 

(※今回の記事はイラッとする人がいるかも知れません、、)

 

 

 

学生の時は親の金でオタクしていたし生きる世界や思考がどうしても狭いので、関東に住んでいるのだから関東の公演にだけ行くのが当たり前だと思っていた。そこにもどかしさを感じることはなかったし、そういうものだと思っていた。当時は今ほどSNSが活発な世の中ではなかったので他の公演がどうだったか知る術があまりなくて、けれど逆にだからこそ、自分が行ったその公演だけで満足することができた。

 

大人になって自分の稼いだお金でオタ活するようになると、サラッと遠征できるようになったし、全国のどこの公演も視野に入れるようになった。基本的には関東公演にしか行かないけれど、結構軽率な気持ちで地方にいけるバイタリティと金と時間を手に入れた。

 

社会人になった時、会社で地方出身のオタク友達ができた。彼女は、

「地方にいる時はコンサートは毎回かなりの遠征だった。遠征ついでにジャニショ行くのが楽しみだった」

「今はコンサートの後すぐ家に帰れるし前乗りしなくていいから東京最高だわ」

と、常々言っている。

学生のオタ活が制限されてしまうのは仕方ないにせよ(学生のみんながんばれ。高校さえ卒業したらジャニオタとしてだいぶ生きやすくなるので!!!!!)、遠征を簡単に決めたり思いつきでジャニショに行ったりテレビ番組をリアタイできるのは、あくまで私が「東京で生きている」からだと、私は彼女の発言により、やっと気付いた。気付くの遅すぎだろ。

 

 

私がありがたい環境に生けるオタクだと気付いた時、いつの間にか「ありがたみ」の感情を失ってしまっていることにも気付いた。

それは東京に住んでいることに対する「ありがたみ」というより、自担や自担グループがアイドルとしての姿を見せてくれていることへの「ありがたみ」で。

 

1回のコンサートに行く重みは「その日時に自宅からその会場に行くのが可能か否か」など考えずに「当選するか落選するか」の心配しかしなくていいから。

CDや雑誌の発売を楽しみに思う気持ちは、本屋やCDショップが死ぬほど存在するから、買い忘れてもどこかにまだ残ってて売り切れることがないから。

そしてそれらを糧に「楽しみに向けて頑張ろう」と思える心は、正直すっごくファンでなくても興味本位で申し込めるくらいには大概会場が東京だから。

だから、「アイドルに会える」ということが、「自担のアイドルとしての活動を応援する」ことが、どれだけありがたいことなのか、私は忘れてしまう。

 

反省したし、なんだか自分に悲しくなった。

学生の時の、たった1回入れた公演で感じた「憧れの人が同じ空間に存在している尊さ」や、お小遣いの中でやりくりしてグッズや雑誌を買うという「欲求の有限化」や、リアタイできる放送をわざわざ録画してDVDに焼いていたその熱意、そういうの全部、忘れてたなあ。

全部、当たり前になっていた。私のアイドルを応援する気持ちの中には、慢心があった。

もちろん東京に住んでいる人がみんなこういう気持ちではないので「東京」と一緒くたにして申し訳ないけれど、少なくとも私は、東京という地に甘えてしまっていた。

 

それが、東京に住む私の反省点。

ここからは東京に住んでいることで切なくなる話。

 

 

何度もブログに書いている通り、私は関西ジャニーズが好きだ。好きな人たちの関西弁も好きだし、地元を愛しているその姿も大好きだ。

関ジャニジャニーズWESTのコンサートの大阪公演では、MCで幾度となくメンバーが、

「ただいま」

と言っている。それもすごく素敵だし、それに対して

「おかえり」

と言えるファンの方たちのことも素敵だと思う。

けれど、私は少し羨ましいと思っている。

いくら大阪遠征して大阪公演に入っても、私にとって彼らに大阪で会えることは「おかえり」ではない。彼らと同じ地域で生まれ育った方々が言う「おかえり」には当たり前だけど到底及ばないし、ていうかお前におかえりという資格ないわ、って感じだ。

 

好きで関西ジャニーズのファンをやっているので、そんなこと言うなら関東ジャニーズのファンやればいいじゃん、と思われるかも知れないけれど。

 

関東のジャニーズは、東京ドームや横アリの公演で

「ただいま」

と言うことはない。ジャニーズ事務所の拠点はあくまで東京なので東京で公演があるのは当たり前だし、アイドルに限らず一般人の私達もだけど、東京に対して帰属意識がまるでないから。もしかしたらたまに埼玉とか神奈川の出身の子が埼アリとか横アリで「ただいま〜」って言うかもしれないけれど、東京はない。むしろ言われたらちょっとエ?ってなる。

 

東京で生まれ育った人間にとって、東京は特別な場所ではない。東京に対して「愛すべき故郷」という意識は一切ない。だから私は関西に限らず「故郷」がある人を羨ましいと思っている。帰省をしてみたい。地元トークをしてみたい。ケンミンショーがくそつまんない。もっとアイドルに愛される地域でオタクをやりたい。大阪じゃなくても、「ここは食べ物が美味しいよね〜」とか、「景色が綺麗だよね〜」とかMCで言われたい。なによりアイドルに「おかえり」を言いたい。

 

意味わかんないこと言ってるよね。私も自分でよく分かんないもん。

 

 

東京という広くて冷たい街は、こんな時私を切なくさせるので、好きだけど、嫌いだ。

 

 

あとはやっぱりシンプルに、関西ジャニーズが好きな人間にとって東京はやはり大阪からは少し遠い。せっかくなら大阪で応援したい気持ちを、必死で抑えて関東にとどまって生きている。

例えば今回私は年始にジャニーズWESTのコンサートに行くことが決まっている。横アリに申し込んで、当選した。超超超超嬉しかったし、神様っているんだ、、って思った。

けれどその横アリの日程全かぶりで、関西ジュニアが大阪でコンサートをする。つまり私は関西ジュニアのコンサートには行けないし、ジャニーズWESTのコンサートのバックにも関西ジュニアはいないということだ。(私に、年始に大阪遠征するバイタリティがあったら話は別だけれど、さすがになかった)

こんな時関西に住んでいたら、年始に関西ジュニアのコンサート、2月にジャニーズWESTの大阪公演に行ける。

 

「オタクの私」と「社会人の私」が自分の中で折り合いをつけながら、何かを手に入れる度に何かを妥協してオタクしている。

関西に住んでいたら、今よりもう少しは妥協の回数や度合いが少なかったろうなあ、とは思う。

仕方のないことだし、きっと全国どこに住んでいても何かを諦めて生きなければならないので、こんな被害者ぶるのは間違ってるのも分かっている。

けれど、その「理解できている自分」と「諦めきれない自分」も、やっぱり自分の中で戦っている。

 

 

 

けど、私はこれからもずっと、東京で生きていく。予定だ。

だからこれからもアイドルに感謝し粛々とオタクをしていかなければと思うし、これからも私は大好きなあの人たちに、「おかえり」が言えない。