1月
友人の家で、ジャニーズカウントダウンで年を越した。濵田くんは骨折していたけれど顔が良くてなによりだった。見学席で小さく丸くなってるラウールに駆け寄る8人のお兄ちゃんと、お兄ちゃんたちの姿を見つけ、花が咲いたように笑顔になるラウールが、とても美しくて涙が出た。
日本はまだまだ元気だった。SnowManがデビューするのだから、元気じゃないわけなかった。
来たる1月22日、SnowManがデビューした。
念願のデビューシングルCDを予約して、嬉しくて心がジワっとした。会社の人たちに毎日「あと◯日でSnowManがデビューします!」と伝えてまわった。
当日、私が住む地域では、本当に一瞬だけ雪が降った。すぐに止んだその雪がSnowManの門出を祝福しているようで、なんだかとても、涙が出た。
あとどうでもいいけど、2019年下半期に全力を費やしたプデュ、年末の最終回で推しがデビューできなかったので、このあたりは立ち直れてなくて死んだように生きてた
2月
SnowManのデビューが嬉しすぎて、Twitterを開設した。友達がたくさんできた。リアルな世界では友達が3人しかいないので、ネット弁慶なのがありありと分かった。
しれっと今年初現場をキメた。
板の上に立つ龍太くんはかっこよくて立派で、素敵だった。
ちなみにW troubleの当落がその数日前にあって、5名義かけたのに1名義、しかも仙台公演しか当たらなかったことへの愚痴が止まらない日だった。
2D.2D.の当落が出た。普通に落選した。
日本の元気がなくなり始めたが、2020年はまだ始まったばかりだった。
3月
ただひたすらに、2D.2D.の開催を信じた。
開催される気満々で、ネイルを緑にした。春コスメもたくさん買った。最高のデビューコンサートを夢見て止まなかった。
3月の記憶は、ただただそれだけだった。
4月
仕事が在宅勤務という名の自宅待機になった。とどのつまりニート生活が始まった。
世の中が完全自粛に入る前に、W troubleの開催を願って髪を染めた。すごくかわいいピンク色に染まったので、どうしてもシゲに見てほしかった。
本当はウエストに会えるはずだったその日、淳太くんがリモートでWESTV!鑑賞会を開いてくれた。久しぶりに観たWESTV!に行けるはずだったW troubleを投影して少し切なくなったけれど、去年のシゲには画面を通してかわいい髪を見てもらえたから、来年のシゲにはもっとかわいい私を見てもらいたいと思った。
自粛が暇すぎてYouTubeを見漁った結果、推すもんかと思っていたJO1にまんまとハマった。プデュ時代の推しも別の道を幸せそうに歩いていたので、心置きなくJO1を推すことに決めた。
オタクは暇だと推しが増える。
5月
相変わらず仕事は休み、朝に寝て昼に起きてドーナツ食べて散歩して寝て夕飯食べてYouTube見て朝が来て寝る、という毎日を過ごしていたので3キロ太った。コストコのドーナツがウマすぎるせいだよ。
めちゃくちゃリモートに助けられた。人と話す予定があること、化粧する理由があること、好きなことを語り合う楽しみがあること、その全てが5月を生きる糧となった。
行けるはずだったトラジャのEnter7もなくなった。完成したばかりのピカピカの会場でキラキラの彼らを見るのが、本当に楽しみだった。結構本格的に人生辛いな、と思った。
本格的に辛かったので、禁煙に失敗した。
6月
仕事が再開した。推しには会えないのになぜ労働だけ???
けれど、世の中的にも仕事が再開したことで、なんとなく行動範囲を広げられた。オタ活も少しずつできるようになって、友達に会えたり外食ができるようになったり、それが生きている実感に繋がった。オタクはオタクごとにしか生きてる価値を見出せない。
7月
誕生日を迎えたし給付金が入ったので、女性用風俗に行った。この件だけで別に記事書きたいくらい素晴らしい体験だった。
歳下の男の子が無条件に私を愛してくれ大切に扱ってくれるというのは、とても素晴らしくて尊いと思った。勇気を出して予約した数日前の自分を褒めてあげたいと本気で思ったし、一生懸命私を愛してくれるショータ君を、本気で大切にしたいと思った。年3回のボーナスでショータ君に会いに行こうと決めていたけれど、12/15現在、ショータ君の出勤予定が向こう2週間白紙なので、彼に会えぬまま12月のボーナスは溶けていくのであった。ショータ、いつ出勤しますか?
7/28、関西の祭典があった。私が好きな、好きだった関西がそこにあって、やっぱり私は関西が好きだなあ、と、しみじみして、心を鷲掴みされた。
私にとってかけがえのないエイトと、エイトの教えを踏襲した太陽のような眩しすぎる大好きなウエストと、明るい未来が約束されているはつらつとしたジュニアたち。こんなん見せられて、私の心の深いところから、涙が溢れないわけがなかった。
8月
怒涛の配信月間。セブンメンとうみくんとAぇ。
ひとつひとつ書くとバカ長くなるから割愛するけど、うみくんの溺愛ロジックが天才だったことだけは記録しておきたいと思った。
SnowManのデビューコンサートの配信での遂行が発表された。
正直な話をすると、めちゃくちゃ悔しかった。私が阿部くんに会えない悔しさ悲しさとかではなく。大好きな阿部くんが、大好きなSnowManが、また悲しい気持ちを抱いてしまうのではないか。こんなに辛酸を舐め続けた彼らは、まだ荒野を歩まなければならないのか。こんなに辛い彼らに、私たちにできることは本当に何もないのか。それが、本当に辛かった。
辛かったから、どうしても少しでも力になりたかったから、追いグッズをした。泣きながら居酒屋で、カートにありったけのグッズを全部ブチ込んだ。決済する時に「同じグッズ前にも買ってるけど間違えてない?大丈夫?」的な注釈が出てきたけど、うるせえ余計なお世話だと思って強く決済ボタンを押した。
辛いことばかりではなかった。
重岡大毅が、24時間テレビのパーソナリティを務めた。嬉しくて誇らしくて仕方がなかった。シゲがあの満点の笑顔で「世界でいちばん熱い夏」を歌い上げた今年の8月は、思ったより悪くなかったんじゃないかな、とさえ思えた。
あと、目黒蓮が散髪した。
9月
ねえ、私室担?
月並みだけれど、久しぶりに生のジャニーズ、めちゃくちゃかっこよかった。
本来だったら行けるはずだったトラジャのEnter7の配信があった。私はトラジャの単独公演に入ったことがないのだけれど、広い会場を縦横無尽に駆け回って美しく踊る彼らは、なんというか、本当にかっこいいな、と思った。こんなにかっこよくて儚くて強くて美しいトラジャのこと、配信でも見届けることができて、幸せな時代に生まれたと、大袈裟じゃなく、本気で思ったよ私は。
10月
少し複雑な気持ちで迎えた2D.2D.だった。
この1年でSnowManはものすごく人気になったし、ここ数ヶ月だけでもめちゃくちゃファンが増えた。それを嬉しい誇らしいと取るか、寂しいと取るか、自分でも自分の気持ちが分からないまま、ずっとモヤモヤしていた。そのままの気持ちで推し続けるのが少し辛くて、この頃マジでJO1に助けを求めた。2D.2D、本当は観られたのにわざと平日公演を観ずに、土日だけ観た。
私は、ファンが10人になっても、CDが2枚しか売れなくても、たとえ世間から死ぬほど叩かれたとしても、絶対変わらずSnowManが好きだろうな、と思っていた。けれど、何万人のファンがいる、CDがミリオンヒットする、世界に愛されるSnowManが、私が愛すべきSnowManなのだと分かった。私にとって、ものすごく価値のある、一生忘れられない公演を観た。やっぱりSnowMan、好きだなあ。
11月
びっくりするほど何もなかった。割愛
追加:なんもなくなかった。名古屋に滝沢歌舞伎観に行ってた。最高に楽しくて面白かったのに脳からすっぽ抜けてた。痴呆か?
12月
こちらもまた入る予定だったW troubleの配信。ここ最近のウエストの爽やかさ、アツさ、がむしゃらさが心に沁みる、特効薬のようなコンサートだった。下半期にめちゃくちゃ聴いた「らしく行こうぜ」という言葉が、この1年のジャニーズWESTを揶揄しているようで、すごくよかった。
気づけば日本はまた元気をなくしていたけれど、ジャニーズWESTがいる限り、日本はいつでも元気になれると思った。
そして今日ジャニーズカウントダウンを迎え、2020年をたたもうとしている。
なんかもう、よくわかんない1年だったな。いいことばかりじゃないけど、悪いことばかりでもない。という歌詞が、この1年を表している気がした。それは今年だけじゃなく、毎年そうだと思うけれど。
よくないこと があまりによくなさすぎて、たまにあるいいこと が信じられないくらい沁みてしまう、繊細な1年だったように思う。
アイドルがいてくれてよかった。例年以上にそれを感じて、2021年に、いろんなことを持ち越して、まあそんなに悪くはなかった2020年を、終えようと思います。
ありがとうございました!!!
後半疲れてめちゃくちゃ適当になってきてるの皆様お気づき?